遥かな銀川
砂漠地帯にありながらここだけは緑豊かで「塞上江南」ともいわれる銀川。
11世紀に200年ほど独自の文字と高い文化を誇った西夏王国の都でもあった。西へ30キロの賀蘭山東麓にその西夏王陵がある。また万里の長城
も砂漠の中になかば崩れかかって、はるか彼方まで続いている。
西夏王陵。このおわん型の陵はかつて瑠璃瓦で覆われていた。
1 銀川市内
銀川は寧夏回族自治区の区都だが、その名の通り回教(イスラム教)の色彩が濃い。イスラム寺院もあり、また承天寺塔など仏教寺院も混在している。
銀川遠望
玉皇閣
2 西夏王陵
銀川の西30kmの賀蘭山東麓に西夏王陵は点在する。
西夏は1038年、タングート族の李元昊が建国し、宋の制度を取り入れ、西夏文字も作られた。タングート人、チベット人、ウイグル人などが多く、国家建設と同時に陸墓の建設も進められた。それが今に残っているもので、皇帝の墓の他、家臣の墓もあり、200以上見つかっている。 高いもので20mほど、西夏王陵は全体で10万平方mもある。
コインの研究家・しらかわただひこさんが上の写真をHP「コインの散歩道」の中の
「西夏の番字銭」に載せていただきました。
3 万里の長城
銀川北方の郊外にゴビ砂漠に向かって万里の長城が連なっている。かなり崩れかかっているが、北京近くのきれいに修復された長城より風情があると思うのだが。
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